第一章:第十話

 鬼気迫る気迫に、この場にいる全員が呑まれた。
 初めて聞いた少女の言葉は、この国へ対する恨みごとで塗れていた。痛烈で悲痛な絶叫を鎮める言葉など、誰一人持ち合わせてはいない。
 当然だ。誰もが華を人として見ていなかったからだ。
 この四年、一言も口を聞かず、食事すらまともにとらない。いつ見ても薄暗い部屋の中で窓の外ばかりみている少女。ベールを被る理由が己の姿の異様さを隠すためだと知っていても、少女が醸す雰囲気が薄気味悪かった。
 華からは人の気配が感じられなかったのだ。
 だが、今の姿はどうだ。半獣を友と呼び、小さき体で身を呈して守っている。つんざく絶叫は、間違いなく血の通った者が持つ感情があった。
 彼らは初めて気がついた。
 華の置かれていた環境がいかに過酷で孤独であったのかを。

『泣かせたな』

 突如、大気が震えた。
 唯一、この中で声の主を知るロイドだけが、表情を引き締めた。
 空間が歪み、亜空間が開く。現れた一匹の巨大な白豹に驚愕が部屋に満ちた。左右二翼ずつ広げた純白の翼に、紫色の双眸は壮麗で、圧巻だった。

「クローチ様」

 ロイドの凛とした声に、サイラスはツッと目を眇めた。

「お前が霊獣 クローチか」

 クローチはそれを一瞥で薙ぎ払い、華の元へ悠然と歩き近づいた。ロイドが身を引き、頭を垂れる。

『華』

 わんわん泣き続ける華を比翼で包み込み、赤子をあやすような優しい声音で囁きかけた。

『華、もう泣かなくていい』
「……クロー、チ?」

 ゆるゆると顔を上げた華が、弱弱しくクローチを呼んだ。

『あぁ、もう大丈夫だ』
「う……っ、うぁぁぁ……っ! クローチ……っ!!」
『うん、分かった。分かってるよ』
「なん……でぇぇ、わた……っ、ひっく、私は!! 誰も、私のこと、なん、て……っ」
『そんなことないだろ。俺がいる。ロイドもいるじゃないか』
「だったら傍にいてよぉ……、ひとりは寂しいよぉぉ……っ」
『ごめんな、華。うん、いるよ。華が望むだけ、ずっと傍にいる。だから、もう泣くな』
「クローチィィ……」

 嗚咽混じりの鳴き声はやがて途切れ途切れになり、ふつり…と途絶えた。クローチが翼を広げると、泣き疲れた華が純白の体にしがみついたまま眠っている。

『ロイド、運んでやれ』
「はい」

 初めてクローチの姿を目にしても動揺らしいものを見せず、ロイドは頷いた。立ち上がり、華をクローチから受け取る。泣き疲れて眠る顔にクッと目を眇め、慎重にベッドへ横たわらせた。
 それを見届け、クローチは全員に退出を命じた。
 それまでの喧騒が幻だったかのような、静寂。ベッドに近づき、濡れた頬を舐める様子をじっと見ていたサイラスが、沈黙を破り口火を切った。

「――いつからコレに姿を見せていた」
『お前も下がれ』
「なぜだ、霊獣の姿を見ることは王族でもままならないはず。なぜコレの前だけ」
『下がれ。お前が知る必要などない』

 鼻を摺り寄せ、華が完全に寝入っていることを確認するクローチの放つ言葉は素気無い。
 完全に蚊帳の外に放り出されていることに、サイラスが屈辱を露わにする。

「コレを召喚したのは、私だ」
『お前は側室と子をもうけ、国を安定させろ。王の務めを果たしていればいい』
「私を種馬呼ばわりするのか」
『似たようなものだろう』

 せせら笑い、ようやくクローチがサイラスを見た。華とよく似た紫色の目が真っ直ぐサイラスを見据える。すべてを見透かされているような不気味な双眸をサイラスが睨み返した。

「コレが霊峰の妙薬を手に入れられたのも、あなたの手引きがあったからだ」
『同じことを言わすな。これ以上、小童と話すことはない。――下がれ』

 取りつく島のない、とはまさにこのことだ。
 一国の王を小童呼ばわりし、下がれと命ぜられるのはクローチが国を守る聖獣であるから。彼ははるか昔からこの国を見つめ続けている。クローチからすれば、サイラスは間違いなく「小童」なのだろうが……。
 クローチは言葉通り、何もサイラスに教えるつもりはないのだ。
 無意識に歯切りが出た。
 クローチに泣きついた華の様子から、二人に交友があったことは容易に窺い知れた。この四年、華の孤独を埋めていたのは、クローチの存在で間違いないだろう。
 翼を広げた時に見た華の安堵の表情。サイラスには仮面のような顔しか見せないくせに、クローチやロイドにはサイラスが知らない顔を見せている。そのことがやたら深く心を突いた。
 これまで感じたことのないどす黒い感情が胸を占める。彼等の間に漂う親密な雰囲気を直視できず、サイラスは荒々しく扉を開けて、部屋を出て行った。

「サイラス様!」

 塔の下で待機していたユーグを無視して、その足で後宮へ向かった。
 側室のひとり、メリーナの部屋に入ると無言のまま柔らかな体をかき抱き、前戯もそこそこに中へ押し入った。
 華の絶叫を掻き消したくて、組み敷いた女に声を上げさせるためだけに腰を振る。
 どこにぶつけていいのか分からない憤りが、サイラスを情事に駆り立てた。子を成す行為も、今は憤怒のはけ口に過ぎない。
 外道と呼ばれたこと、蔑んでいた者から蔑まれていた事、慟哭、憎しみ、嫌悪、敵対心。王である自分を邪険にした聖獣の不遜さ。すべてが不快だった。
 しかし、なにより心を突いたのは、――華の泣き顔だった。

(――クソッ!)

 なぜ自分があんな者のせいで心を痛めなければいけない。あれは国を亡ぼす者、いずれは処分せねばならない存在『忌むべき者』だ!
 だが、なんだ。この胸の重苦しさは。
 気に入っていたはずのメリーナの体なのに、今夜は達せる気がしない。がむしゃらに腰を進め、何も考えられなくなるまで行為を続けた。
 それは、メリーナが気を失っても続いた。


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