第一章:第九話

 駆け寄ったロイドが華を抱き起こす。

「お怪我はありませんかっ?」

 華の体に目を走らせ、倒れた際にめくれた衣服の裾に気づき、直した。足に刻まれた傷跡が見えていたのはほんのわずか。存在を知っているロイドでなければ分からない程度の露出だが、顔に浮かぶ傷心は隠せなかった。

「華様……?」

 返事がないことを訝しみ、ロイドが問いかけた。
 華は顔を伏せたまま「……んで」と呟いた。
 くぐもった声は小さな肩と同じく震えていた。

「なんで私ばかり……っ」

 沸々とこみ上げる苛立ちが口をついた。サイラスが冷めた眼差しのまま言った。

あざむけ通せると思ったのか」

 傲然な物言いは、華への仕打ちに何ら後ろめたさもない。華を人と扱っていないのだ。
 それを体現しているのは、この国の君主。

「私が何したの」

 サイラスに振り払われたのは、これで二度目。自分はあと何度、この屈辱を味わっていくのだろうか。

「何かあなた達に迷惑かけた? なんでこんな扱いされなくちゃ駄目なのよっ!」

 震える声はやがて大きくなり、怒声へと変わる。
 叫び、サイラスを睨み上げた。
 黒とも紫ともとれる瞳に宿る怒りに、サイラスが片眉を上げた。

「どうして彼が罰を受けなきゃいけないの、私は誰とも喋っちゃいけないのっ?! だったらそうする、私の声が不快なら二度と喋らない。これで良いでしょっ」
「華様、気をお鎮めください」

 ロイドが肩を抱く手に力を込めて制止するが、走り出した激昂は止まらない。

「いやっ! ロイドが私のせいで痛い思いするなんて絶対にダメ! 罰ってナニ? 鞭打ち、それとも張りつけ? 何でも良いよ、私が受ける!」
「いけませんっ」
「だって、だってそうしないとロイドが!!」

 自分のせいで誰かがつらい思いをするのは、嫌だ。

「――おもしろい、忌むべき者が半獣を庇うとはな」

 冷淡な声に、華は目を剥きサイラスを凝視した。
 どこまで人を愚弄すれば気が済むのだ。
 だがサイラスは華には目もくれず、ロイドを見た。

「お前は先日、ヌルルを持って細工師に仕事を依頼したな。元手は霊峰で採れる妙薬の材料を金貨に替えたとか。――どこでそれを手に入れた」

(あぁ、そうか。杖の元手はあれだったんだ)

 華の渡していた実はそれほど高価なものだったのか。
 良かれと思いした行為が、ロイドを追いつめる結果になってしまった。
 ロイドは口を閉ざし、黙秘を選んだ。
 言えば華の現状が悪化することを分かっているからだ。

(別に良いのよ)

 これ以上、地に落ちることはきっとない。でも、ここで言わなければ、ロイドの立場は危うくなるのは必至。
 見兼ねて華が口を開いた。

「私があげたの」
「――っ、華様!!」
「いいの、私が彼に渡してたのよ」

 焦るロイドをいなして、言った。

「どうやって手に入れた。この塔から一歩も外へ出れるはずのないお前が、なぜそれを手に入れられる」
「あなたが知る必要ないわ」

 言ったところで理解されるとは思わないし、話すつもりは毛頭なかった。
 サイラスを睨みながら、華はロイドの手を借りて立ち上がる。
 それでも見上げる態勢は変わらない。

「お前、誰に向かって口を聞いている」

 誰に。
 今さらの問いかけに、失笑すら浮かばない。
 どこまでふざけた男だろう。
 すっと双眸を細めた面は、暗い妖艶さを宿していた。
 華は四年分の恨みを込めて、ことさら静かに告げた。

「外道によ」

 言い放った言葉に刹那、場が凍りついた。
 サイラスは無表情のまま足を進めて、無言で腕を振り下ろす。部屋に頬を打つ音が響いた。

「首をねられない幸運に、跪け」

 たび重なる拒絶、浴びせられる屈辱と、続く肉体的苦痛。
 これのどこが賢王だ。
 華は鼻で嘲笑った。
 じわりと浮かんだ涙もそのまま、サイラスを睨み上げた。

「よく言うわ、怖くて刎ねられないだけでしょ」
「な、に――」
「私は”忌むべき者”だもの。迂闊に殺すこともできなくて、ずっと手をこまねいていただけじゃない。首を刎ねた途端、どんな災厄が起こるかわからないものね! ばっかみたい、勝手に召喚して勝手に騒いで怯えてるんだもの。それも四年間も! 何もできなかった臆病者が偉そうにふんぞり返らないで。――今さら何しにきたの? ようやく私を殺す方法でも見つかったわけっ?? やりたきゃ、やってよ。でも、その後で困るのはあなた達だってこと、思い知ると良いよ。あなたなんて顔も見たくない。気味悪いなら放っておいて、今まで通り構わないで!!」

 ジン…と熱を持つ頬が熱い。
 なぜ自分が殴られないといけない。さんざん酷い事をしてきたのはアルタイヌ国であり、サイラス達じゃないか。
 いつ災厄を招いたというの。逆だ、自分はクローチと共にこの国を守っているのに。
 使用人にすら煙たがれ、疎まれ続けた四年間、何も感じていなかったとでも思っていたのか。
 クローチだけが話し相手だった中で、ようやくできた友人に心赦すのはそんなにも大罪なのか。

(何も知らないくせに――っ!!)

 頬の熱が熱くてたまらない。こらえきれない激情が堰を切って溢れてきた。
 自分だって人間だ、平凡な学生だった。
 それをおかしくさせたのは、全部お前達じゃないか。
 人生を狂わせ、住む世界を奪い家族達から引き剥がされて、脚を、自由を奪っておきながらまだ足りないというのなら、何をくれてやればいい。
 どうすればお前達は満足するっ?!
 自分は人身御供ひとみごくうじゃない、国の安定を望むのなら自分達でどうにかしろ。
 他力本願まる出しの召喚で保たれる繁栄に、どれほどの価値がある。
 それなのに、何を偉そうに見下しているんだ。
 人でなければぞんざいに扱っても良いと、誰がお前に教えた。
 こんな輩の国を自分は守っているのか。――守ってやっているのか!
 大粒の涙をぼろぼろと零しながら、サイラスを睨み続ける。

「戻して……っ、私を元の世界に戻してっ!!」

 涙でぐちゃぐちゃになった顔はさぞ醜いだろう。だが、それがどうした。
 華はなりふり構わず泣き喚いた。
 鬱積し続けた不満が理性を凌駕したのだ。

「もうやだっ! こんなの――もう嫌っ! やだぁぁぁぁ―――っ!!」

 耳をつんざく絶叫が、小さな部屋に響き渡った。
 華は子どものように声を上げて、その場に泣き崩れた。

「やだぁぁっ、やぁぁぁ――っ!!」

 ひと目などはばかっていられるものか。
 どこにも吐き出せなかった不満が蓋を開けると、あとはなし崩しだった。

「華様……」

 ロイドがたまらず華の体を引き寄せる。華は大きな体躯に縋りついて泣いた。


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