第一章:第十四話
「王族専用の庭?」
初めて聞くそれに華は目をぱちくりと瞬かせ、「私そんなのに申請した覚えないよ?」と小首を傾げた。
『王族専用の庭って言うのは、王家の人間だけが入れる特別な庭のことだ』
「クローチ」
空間に響いた声に応えると、侍女は一礼して退出した。
一度は彼らの前に姿を現したクローチだったが、その姿を見ることができるのは、彼に許された者のみであることは変わらない。現に、ロイドは現れたクローチの姿が見えていない。
華にだけ見える存在の霊獣はのっそりと空間から出てきた。
「王家の……って、ここは王家の人の城でしょう? だったら、敷地全部が彼らのものなんじゃないの?」
『そうだけど、城には王家以外の人間も住んでるだろ。彼らにだって憩いの場は必要だし、敷地内には使用人達の子供用に作られた学校もあるんだぜ。ちなみにロイドの妹もそこに通っている』
クローチの言葉に、華は目を丸くした。
「え、ロイド。妹がいるの?」
「はい、今年で八歳になります」
「八歳かぁ、いいなぁ。私は姉との二人姉妹だったから、妹か弟が欲しかったんだ。ねね、やっぱり可愛い? 兄妹喧嘩とかするの?」
「さすがにこれだけ年が離れていますので、それはないです。遅くにできた子なので、我儘娘になっていますよ」
弱り顔で妹を語っていたが、嬉しそうな声音から妹を可愛がっていることが伝わってくる。
「外か……」
アルタイヌへ来て四年が経つが、思えば一度も城の中を見たことがない。霊峰へ行く道中から国を見下ろすことはあるけれど、自分の足で部屋の外に出るという発想はなかった。
もちろん、その選択肢が与えられていなかったせいもあるのだが、――なぜ急に?
「どういうつもりなのかな。突然王族専用の庭に入ってもいいなんて」
そもそも誰が許可を出したのだろう。
『そりゃ、小童だろう』
呟きにクローチは当然と言わんばかりに答えた。
「だから、何で?」
あのサイラスが何の魂胆もなく華の拘束を緩めるはずがない。きっと何か裏があるに決まっている。
『さぁ? でも、自由にしていいって言ってるんなら、せっかくだし行って来いよ。結構見ごたえあるぜ』
「クローチは見たことあるの?」
『昔な』
そう言ったクローチは少し懐かしそうに遠くを見た。彼のいう“昔”がいつなのか。
(誰と見たのかな)
口ぶりからひとりで見ていたわけではないのだろう。郷愁を感じさせる眼差しを見つめていると、一瞬だけ脳裏に映像が流れた。
美しい金色の髪の女性と、あれはクローチ?
見たことのない場所で寄り添う二人の周りには沢山の花が咲いていた。
眼前に広がったセピア色をした光景。見入っていると、「――華」クローチの声でそれはかき消された。ハッとしてクローチを見遣れば、なぜかねめつけられた。
(もしかして、今のはクローチの記憶……?)
「あ……、ごめんなさい」
『いや、華は悪くない。俺が悪かったんだ』
「うん……」
共有した魂がクローチの感情に呼応したのだろうか。
望んで見たわけではないけれど、盗み見てしまったことに気まずさが広がる。珍しく強い口調で窘められたことがショックだった。
クローチも華が見ようと思ってしたことではないことは分かっているのだ。だから、華に詫びた。けれど、漂う微妙な雰囲気からの逃げ道を見失い、居たたまれなさを覚えているのはクローチも同じだった。
「華様、せっかくですので庭に出てみませんか。幸い、今日はとてもよい天気ですよ。あそこはひとりだけでしたら付き添いが付けますので、私もご一緒できます。おひとりでは何かと不自由がおありでしょう」
沈黙を破ったのはロイドだった。
会話だけを聞いていたロイドにも雰囲気は伝わったのか、渡りに船の提案に華は一瞬ためらうも頷いた。
「そうだね、行ってみようかな」
立ち上がると、ロイドが扉脇に立てかけてあった杖を手渡してくれた。
「ちょっと行ってくる』
『あぁ、行ってこい』
返ってきた声はいつものクローチのものだったことに、ほっと安堵して、華はロイドと共に初めて塔の外へ出て行った。
ロイドの手を借りて、ゆっくりと王族専用の庭へと歩いて行った。
途中、すれ違う使用人達の反応は様々だった。ハッと顔色を変え道を開ける姿勢は同じでも、通り過ぎた後、背中に当たる視線は決して好意的なものばかりではない。
“忌むべき者”に対する嫌悪を持つ者は、この城にまだ大勢いる。
「ベール、持ってくるべきだったね」
ロイドの隣を歩きながら、ぽつりと後悔が口から零れ落ちた。つい部屋にいる時と同じ気持ちで出てきてしまったせいで、ベールを被るのを忘れていたのだ。
「私の配慮が足りず、申し訳ありません」
「あっ、ううん! ロイドのせいじゃないわ。ごめんね、変な気遣わせちゃって」
俯きかけた顔を上げて首を振ると、ロイドが僅かに苦笑する。それに華は精一杯の笑顔で返した。
「王族専用の庭って、どんなとこだろうね。ロイドは見たことあるの?」
努めて明るい声を装うと、ロイドがじわりと目元を緩めた。どうやらわざと話題を変えたことはバレバレだったらしい。恥ずかしさに頬が熱くなった。
ロイドは獣の顔立ちをしているのに、瞬間の表情がとても豊かだ。思えば彼と話していて、一度も人とは違う容姿に違和感を覚えたことがないのも、そのせいなのかもしれない。
物静かな人だけど、ロイドを包んでいる雰囲気はとても優しい。
だからだろうか。時々、とてもドキドキする。
「いいえ。ですが、場所は存じておりますのでご安心ください。この通路を進んだ突き当りを左に曲がったところです」
その言葉通り、突き当りを曲がった先には見事な庭園が広がっていた。
「すごい……」
王族専用の庭に咲き誇っているのはルチアの群生だ。華はその光景の美しさに息をするのも忘れて、見入った。
花の濃密な香りがここにいても香ってくる。
澄み切った青い空にそよぐ純白の花。風に舞う花びらから光の粉が散っている。それが庭園に舞い散り元素的な世界を魅せていた。
なんて壮麗な光景なんだろう。
声も出せずにただ立ちすくんでいると、やはり庭園の美しさに圧倒されていたロイドが「……素晴らしいですね」と息を呑んだ。
「――うん、すごい」
本当はもっと見合う言葉があるはずなのに、今はそんな安直な感想しか思い浮かばない。
「参りましょうか」
手を差し出され、恐る恐る庭園に足を踏み入れた。すると、一瞬にして清涼な空気感に包まれる。
「わ……」
(何だろう、気配が変わった……?)
驚きロイドを振り仰げば、「結界が張られているのでしょう」と答えた。
そうか、ここは魔法が存在する世界だった。今さらながらその事実を思い出し、神妙に頷いた。ルチアの群生はどれも見事に咲き誇っている。奥へ進むと白以外の色を持つルチアも咲いていて、また違う香りを楽しませてくれた。
庭園には休憩できる東屋的な建物がいくつか点在している。
華は花に顔を寄せては少し進み、また違う色の花の香りを嗅いでは歩いた。足の不自由さを忘れるくらい右へ左へと歩き、そんな華におろおろするロイドを見て笑った。
「今度はおやつも持って来たいね!」
はしゃいだ声は風が空へと運んでいった。
☆★☆
その様子を建物の一室から見下ろしている人物がいた。
「お気に召していただけたようですね」
心なしか嬉しそうな声音のユーグは窓辺から華達の様子を微笑ましげに見ている。
「――ふん」
執務室で書類を読んでいたサイラスが、珍しく上機嫌な部下を鼻で笑った。
「何も王族専用の場所を与えずとも適当な庭でよかったのだ」
「何を今更……。あの方の姿を公に晒せるとお思いですか? 結界があるこの庭だからこそ自由に歩けるのです。道中ですれ違う者も限られていますし、何より華様があんなに楽しそうにしていらっしゃるではありませんか」
「お前はいつからアレ贔屓になった」
「おや、よもや私の申し出をお忘れになったわけでは?」
華を召し下げてほしい。
いつか言われた言葉を思い出し、サイラスはユーグから目を逸らせた。忘れたわけではない、だが聞き入れるつもりはなかった。
「……あれは私の后だ」
「承知しております。ですが、いずれよきお返事をいただけると期待しておりますゆえ」
王妃を召し下げてほしいなど、大胆不敵な申し出ができるのはアルタイヌでもユーグくらいだ。まったく、悪びれる様子もないところが心底忌々しい。